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【「あの日」の絵】明鏡小5年1組の震災(5)くずれさった台所 (産経新聞)

 ■当たり前のことに感謝  揺れた瞬間、隣で寝ていた母に、姉とともに抱き寄せられ、上から布団を押しつけられた。「ガシャン」「ドーン」と、物が倒れ、散乱する音。半分夢の中で台所のドアを開けたとき、大変なことが起こったのだと分かった。15年前のあの日、神戸市兵庫区の自宅で被災した脇谷治樹さん(26)は、「くずれさった台所」を描いた。

 母に促されて靴を履き、コートを羽織ってすぐに外へ。眼鏡を取りに再び戻った瞬間、会社で夜勤をしていた父からの電話があった。その時はわからなかったが、震災直後、被災地の電話は非常につながりにくくなっており、後から考えれば奇跡的だった。祖父母の無事も確認でき、一緒に学校へ避難した。一変した街に、余震がたまらなく怖くなった。

 避難所へは、夏休み恒例の家族キャンプ用だったシートや寝袋、ランタン、カセットコンロを持ち込んだ。大人が自宅の片付けに戻る昼間は、姉といっしょに小さな子供たちの遊び相手をした。

 1週間後、半壊のマンションに戻ったが、まだ余震は続く。いつでも逃げられるよう、窓という窓、そしてドアを開けっ放しに。靴下をはき、コートと靴をそばに置いて、家族4人がぴったりくっついて眠った。吐く息は白く、凍えるほど寒かった。降り込む雪や雨は冷たかったが、「テントにいる子は大丈夫かな」と、友人のことが気になった。

 朝は自宅用に水くみをした後、まだ多くの人が避難していた学校で、トイレ用の水をプールから運ぶバケツリレーを手伝った。夕方になると、再びトイレのバケツリレー。「自分にできることをするのが自然で、大変とかつらいとかは思わなかった」

 割れたガラスの破片をかぶった服や勉強道具は使えず、学校に届けられた救援物資を使った。使い古しの鉛筆やノートに、「自分の分をわけてくれたんやな」と、遠く離れた“友達”に感謝の思いがわいた。

 「あの日」が近づくたびに、命があり、蛇口をひねれば普通に水が出て、暖かい家で暮らせることをありがたいと思う。

 「当たり前のことがありがたい。1月17日は普段忘れている、そんなことを認識する日でもあるんです」=おわり

                   ◇

 この連載は木村さやかが担当しました。

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